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「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」(桜庭一樹)

こんにちは、ぱいんです。

今回は桜庭一樹さんの「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」についての感想を書いていきたいと思います。

 

 

ざっくりあらすじ

 ある日、主人公山田なぎさの通う学校に転入してきた海野藻屑(うみのもくず)。可憐な見た目と、父親がミュージシャンだという肩書で一時はクラスの注目を集めるが、それとは対照的に奇怪な言動を繰り返し孤立状態に。しかし何故かなぎさは友達としてロックオンされ、いやいやながらも付き合っている内に少しずつ親しくなっていき、藻屑が父親からの暴力に晒されていることを知るが…

 

内容について

物語の中心人物である海野藻屑ですが、最終的に虐待により殺されてしまうことが冒頭で明かされます。

なのでこの本は虐待に晒される藻屑の行きつく先を追う物語ではなく、藻屑が殺されてしまうまでの過程をなぞるお話ということになりますね。

主な登場人物としては山田なぎさ、海野藻屑、なぎさの兄の友彦、藻屑の父雅愛、藻屑に恋する同級生男子花名島の5人です。

なぎさと藻屑が仲良くなるにつれて徐々に雅愛の残虐性が明らかになっていく流れなのですが、なんというかところどころ設定だったり演出だったりが安っぽく感じてしまうことがあり、期待していた程面白くはなかったというのが率直な感想です。

例えば、物語のなかで友彦が小難しそうな専門用語を何度かなぎさに教えますが(ストックホルム症候群やミスディレクションなど)、どれもネットサーフィンしてたら目に入りそうなものばかりで、悟ったように教える友彦が少し滑稽に見えて冷めてしまいました。

特につっこみたくなったのは終盤でなぎさが雅愛にサイコパス診断テストを仕掛ける場面です。さすがにほぼ確実に人殺しをした直後の人間相手にあの場面でそんなこと聞いてる余裕はないだろう、不法侵入した子供に聞かれてそれに真面目に答えちゃう雅愛さんもどうなの…と、ついつい呆れてしまいました。

一度気になると何だかこういった専門用語やサイコパステスト全部が無理矢理ねじ込まれたように感じてしまって今一入り込めなかったです。

そういった用語を知らなかった人だともっと入り込めたのでしょうか…

 

あと花名島が藻屑に殴られるシーンで、殴られながら藻屑の涙を口で受け止めてましたが、正直ここは読み込みが足らないのか花名島の気持ちの動きとかが全く理解できずに「えっ何してんのこいつ気持ち悪」と思ってしまいました。その前で花名島が藻屑を殴ったシーンでは、好きな子だけど自分に全く興味を示さないばかりかウサギを殺すなど理解できない行動ばかりするような藻屑に対して激情に駆られてしまうのはわかるなーなどと共感していただけに、唐突な変態化に置いてけぼりを食らってしまいました。

 

なんか批判っぽい感想ばかり書いてしまいましたが、決して駄作というわけではなく、視点を変えてみると色々と考えさせられます。

この本には英語で「A Lollypop or A Bullet」という副題?が付けられていて、直訳すると「砂糖菓子か実弾か」という感じでしょう。

英語では二つが並列で並べられていますが、日本語では砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないとされ、実弾の方が強いとはっきり答えが出されています。実際、物語の中でも砂糖菓子の弾丸を撃っていたのは藻屑と引きこもっていた頃の友彦の2人ですが、藻屑は死という形で、友彦は引きこもりをやめて自衛隊に入るという実弾を得る形で、2人とも最後にはいなくなっています。

雅愛もロリポップ側か?と考えてみて少し悩みましたが、ミュージシャンとして有名であるというのは実弾に相当するし、ロリポップを殺す側なので実弾側だろうと私は結論付けました。

このロリポップと実弾の対比というのがこの物語の主題だと考えてみると、ロリポップは子供だけが撃てるもので、子供のころの夢だったり、大人になってから懐かしむような思い出であったり、そういった尊いものの比喩であり、大事だけどもこれでは世界と戦えず、これを捨てて実弾を身につけた者だけが生き抜いて大人になることができる、ということでしょう。

最終的にロリポップでは世界と戦えないというのが結論ではありますが、作者はむしろ大事なのはロリポップの方だと考えていると思います。

そういう見方をすれば、先ほど述べた花名島の件でも、私から見れば突拍子もないおかしな行動をとったのは、花名島が藻屑に殴られるうちに少しだけロリポップ側に引き込まれたためだと納得できます。

なぎさも、はじめは険悪でも藻屑と触れ合ううちに仲良くなったことや、引きこもっていた友彦に神がかり的なものを感じていたことからも、実弾を重視しながらもロリポップへの憧れのようなものが根底にあったのではないでしょうか。

 

というような私の考察が正しければ、この本はロリポップと実弾の対比及びロリポップの尊さを読者に気づかせることがメインで、藻屑の死因や死に様などはさして重要ではないのだと考えることができます(ロリポップ代表である藻屑が死ぬという結果だけがあればいい)。そうであれば、藻屑の死という結末を冒頭に持ってきたことや、雅愛の安っぽい異常性にも納得がいきます。

 

 

いっちょまえに考察などしてみましたがちゃんちゃらおかしいことを書いてるかもしれないので他の方の意見なども聞いてみたいですね。

それでは今回はこの辺で終わります。

ありがとうございました。